十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

お父さん、だーい好き。

久しぶりに日常生活に戻りました。あまりテレビを見れない3日間だったので、昨日落ち着いてテレビのニュースを見て本当にビックリ。被災された皆さんが一日も早く静かな生活に戻れますように。いろいろな恐怖や不安から解放されますように。大阪でも結構揺れましたからね。地震に弱い関西人にはあの程度でもドキドキでした。さてこちらはこちらでちょっとバタバタしてました。水曜日にヨウちゃん検査のためN病院でダブル受診を済ませた後、何が起こったのかというと、私の父が亡くなったのです。











去年の3月に突然声が出なくなり、病院に検査に行くと「肺がん」と診断。レベル4で入院、抗がん剤治療がはじまりました。とはいえ去年のGWには一緒に鳥取旅行(あのほれ、魔の壁の!)にも行ってましたしね。入院は確かGW開けやったんよね。夏には退院して通いの治療になり、秋には一緒に三重旅行にも行きました。お正月にはお年玉をくれて、お屠蘇を振る舞ってくれました。ところが今年の1月末頃かな、食事が喉を通らなくなって再び病院に行くと、血糖値が上がり過ぎてるってことでまた入院。そのままこんなことになってしまったのです。












水曜日に亡くなって、その後実家に搬送。葬儀屋さんを決めて、お通夜が11日、お葬式が12日となりました。私はボスから「仕事はなんとかするから、できるだけお母さんのそばにいたげなさい」と言ってもらったので、毎日実家へ通いました。妹1のクローバーは献花の受付担当になり、バタバタの中見事に仕切ってくれましたね。頼もしい☆10日の木曜日は祭壇やら決めなアカンことを打ち合わせして、金曜日には納棺、斎場へ。1日置いたこともあったので少しは余裕があったけど、やっぱり大変、お葬式までの道のりは。こういうときはいつもお父さんが判断してくれてたのに、と思ったりして。












お通夜にもお葬式にもたくさんの方が参列してくださいました。お父さんは自営で内装業をしていたので、仕入れ先の方、職人さんなど本当に私の知らない人がいっぱい。たくさんの人に支えられ、お父さんもまたたくさんの人を支えてきたんやなあ、と改めて思った。お父さんは若いときから「ワシの肩にはお前ら家族だけでなく、社員やその家族や職人の生活やら、たくさんの人がかかってる。そやから頑張らなアカンのや」とよく言うてました。仕事が好きで、真面目にひたすら働いて、私らを守って生き抜いた72年でした。ああ、お父さん、だーいすき♡













お通夜の後の夜伽には、私、とーちゃん、妹のクローバー夫婦、妹2のアオコという子どもたち5人のフルメンバーで臨みました。棺のお父さんのそばで、そうさ酒盛り。お父さんに「お前らうるさい」と言われてたね、絶対。思い出話しながらゲラゲラと笑い、楽しく、泣きながらしゃべり倒して順番に寝ました。順番に寝るって言うても「今のうちに先に寝とくね」というものでなく、いつものように酔っぱらってただ寝た、てなものでしたけど。そこはほれ、うちらのいつもの雰囲気で。楽しいのが好きな人やったからね。












まだ昔の写真を振り返る心の余裕はありませんが、いいことばかりが思い出されます。直近の入院中のことを思い出してしまうけど、そうじゃない、もっと元気で普通に暮らしてたときのお父さんを思い出さな。やさしくて、大きくて、あたたかくて、本当に素晴らしい人でした。何度も棺のお父さんに話しかけたけど、絶対にまたお母さんと出会って私を生んで。絶対にまたみんなで笑って暮らそう。私が今、仕事ができるのも、素晴らしい仲間や友人に出会えたのも、ぜんぶお父さんとお母さんがきちんと育ててくれたおかげです。ありがとう。ありがとう。お父さん、だーい好き。絶対にまた会おうね。