十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

ニューヨーク公共図書館のように。

少し前にひょんなことからフレデリックワイズマンというドキュメンタリーの映画監督の存在を知った。何も盛らずにありのままの姿を伝えるドキュメンタリーは、ファクト、事実を紡いで語り過ぎずに物事の価値を感じてもらうように伝えるコピーライティングのスタイルとよく似ていると思っていて、思わずTwitterアカウントをフォローした。すると最近ニューヨーク公共図書館を舞台にした作品が日本で公開されていることを知り、私はサイトで大阪の公開日程を調べた。

 


もぐもぐと会社でお昼ごはんを食べながら上映時間が3時間もあること、休憩を挟むことを知り、ほほうと思いながら予告を眺める。音声を消しているので正しいかどうかはわからないが、映像はその歴史ある美しい図書館の佇まいを見せつけ、コンサートの演奏会や赤ちゃんを連れたお母さんのワークショップのような風景など、この図書館が私の描くただの図書館ではないことを理解させる。そしてスタッフたちのミーティングシーンや作業風景。あらゆる人がこの図書館のために知恵と労働を惜しまず誇りに感じながら働いていることを感じさせる。短い予告ながら、なるほど、世界にはこんな場所があるのかと映画を観に行きたい気持ちを掻き立てた。

 


予告編を見た後にぼんやりと考えた。この図書館が「人」であったらどうだろう。長い時間を経てこの町になくてはならない存在であり続けている現役感、シャンデリアがまるで老女にこそ似合うジュエリーに見える経年変化の美しさ、長年にわたって出来た綻びを受け入れる潔さ、そしてどんな人も許容する包容力、誰からも愛される親しみやすさ、あふれる知性。ああ、いつかこんな人になりたいと思った。図書館に対して。

 


多くの人に愛されているからきちんとメンテナンスされているのだろうし、雨風もハリケーンもくぐり抜けてきた強さだって備えているのだろう。なんてかっこいい。思わず自分の未来に重ね合わせてみた。シワや白髪があるからこその年輪のある美しさがいい。それでもファッションを楽しめてやりたいことができる自由な身体でいたい。いろいろな人と語り合える枯れないユーモアと知性を持っていたい。家族や仲間に愛され、しっかりと関係をもっているそんなおばあちゃんに私はなりたい。ニューヨーク公共図書館のようなおばあちゃんに。

 


これは私の目標であり希望である。どう生きるかの指針である。時間が取れるか自信はないけれど、この映画を出来るだけ映画館で鑑賞して、この想いが間違っていないか確認したいと思っている。

 

 

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