十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

あたまのなかのおんがく。

父方の叔母が筋力の落ちる病気になった。何度検査しても詳しい病名はわからず、ただただ日々筋力を失い、数ヶ月前に自宅に見舞いに行ったときはなんとか自力で歩くことができ、座って話をしてくれた。「具合はどう?」と聞くと、「まあねえ。からだがうごかんからこまるねえ」ととてもゆっくりしゃべる。もともと叔母はしゃきしゃきと動く、隙のないしっかりしたタイプであるがその姿は見る影もない。長年にわたる夫とふたりのおしどり夫婦の生活で、家事をしたことのなかった(する必要がなかった)叔父が主夫として炊事洗濯を切り盛りしているのも意外だった。「あのねえ、あたまのなかで、ずっとおんがくがながれてるのよ」音楽?どんな?と聞くと、この質問が聞こえてないのか単に答えられないのかそのまま黙ってしまった。ずっと音楽が流れている状態とはどういうものなのか?想像もつかないけれど叔母にとってそれはとても不快なものであるようだった。

 

今年叔父から届いた年賀状で、叔母が入院していることを知った。母や妹と相談し、三連休の中日の今日、お見舞いに行くことにした。仕事に出ようか迷ったものの、来週以降はまた忙しくなってなかなか顔を出せない状況になるため、妹のクルマに同乗させてもらうことにした。4人部屋の病室に入ると、叔母は上を向いて眠っていた。あの日からずいぶん痩せて髪も短くカットされている。母がゆすって声をかけるとパチリと目を開け、私たちを見渡し、私たちの名前を言う。そして妹が去年から義父母と同居していること、アオコが病気になったことなど私たちの状況をさっき聞いたことのようにつぶやき「たいへんやったねえ」と言う。そう、彼女はひとつもボケてない。叔父から話して伝えてもらった年賀状の内容を全部頭に入れてきちんと記憶している。もちろんその前に聞いたこともすべて覚えている。私は叔母にもらったコートを着ていたので「それ、ようにおてるねえ」と少しだけにこりとする。

 

お母さんが叔母のためにもってきた干し柿を口に入れると、むちゃむちゃとしながら「あまいなあ」と言う。爪を切り、ブラシで髪の毛をといてあげると気持ち良さそうにしている。不器用なわたしは切ったばかりの爪にニベアをのせてのばしてあげた。顔は無表情だがきっととても喜んでいる。

 

「おばちゃん、テレビは見いひんの?」と聞くと「もともとテレビはみてないしなあ。みみもちゃんときこえへんし」という。何も見ず、刺激もなく、1日どうして過ごしているのか、毎日何を考えているのだろう。こんなに頭ははっきりしているのに。思考も論理も感情も持ち合わせているのに。神様はなんでこんな人にこんな病気を与えるのだろう。「今日はわたしと典子の誕生日なんですよ」とお母さんが言うと「いちがつじゅうににち。のりちゃんがうまれたときにでんぽうをおくったわあ」と言う。そうやったんやね。52年前の私が生まれた日にそんなことがあったんやね。

 

叔父が来て、しばらく話してから私たちは帰ることにした。「あきらめたらあかんよ」と声をかけたけど、果たしてこの言葉は適切だったのだろうか。「また来るね」と言うと「むりせんといてや。とおいからな」と気遣いする叔母。まだ彼女の頭の中では音楽が鳴り続けているのだろうか。私たちが一生聞くことのない、不快な音楽が。