S先輩に捧ぐ。
昨日早く寝たこともあって、今朝は6時に目が覚めた。やたら喉が渇いていたので(←飲み過ぎ?)リビングに行って水を飲む。見ると、ケータイがピカピカ光っていた。嫌な予感がしてメールを見る。嫌な予感は当たっていた。
遡ること5日前の23日(祝日)の朝、この日も起きてすぐにピカピカ光っているケータイに気がついた。それは高校時代の先輩のH氏からのメールだった。卒業以来一度も会ってない、連絡すら取ったこともないので何やろ?と思い見ると、予想もしない内容だった。H氏の同級生でもあるS先輩が危篤の状態だと書いてある。S先輩とは長い間会ってこそいないが、彼の結婚式にも出席させてもらったし、今年の私の誕生日にもメールをくれていた。子ども2人の写真で作られた年賀状ももらっていた。そのS先輩が危篤、意識不明、もう危ない…。急いでH先輩に連絡し、事の次第を確認し、仲の良かった友人たちにも連絡をいれた。もし何か変わったことがあれば、H先輩から連絡をもらうことになっていた。
一時は容態が安定し、血圧も落ち着いたと聞き、少し安心した日もあった。このまま頑張ってほしい、できるならば戻ってきてほしいと切に願った。何をしていても大きな石が胸につかえているようで、気持ちが沈んだ。でもとーちゃんに「こういうときこそ普通にしとくのが一番なんよ」と励まされ、そうか、と気持ちを切り替えた。私が毎日暗い顔して落ち込んでいたって、何もいいことがない。何よりS先輩が一番頑張って闘っているのだ。私が弱気でどうするよ。胸の石を感じながらも、落ち込まないように気をつけた。そしてただただ祈った。
高校を卒業してから、S先輩は一時五島列島の島で働きはじめ、島にはない雑誌をまとめて送ってあげていた時期があった。大阪に帰ってくるとちょくちょく一緒に飲みに行き、近況を報告し合っていた。彼は音楽が好きで、RC、ストーンズ、オーティスレディング、ボブマーレーなどなどたくさんの音楽を教えてくれた。「これかっこいいから聞いてみ」とダビングしたカセットテープを私にくれた。「カッコいい音楽とはこういうものか」と私は教わった。バイクにもファッションにも彼のスタイルがきちんとあって、そのスタイルはいくつになっても私の憧れだった。結婚して、子どもができてもかっこいいおっさんになっていく彼は、それはそれで素敵だった。彼は私の人生のなかで欠かせない大切な人の一人だった。
深夜にH先輩から届いていたメールには、S先輩がこの2時21分に永眠したと書いてあった。みんなに連絡をして、今私はこうしてブログを書いている。わかっていてもまだ、ピンときていない。もう何年も会っていない彼が冷たくなっているなんて、いなくなったなんて、もひとつよくわからない。なので今晩、お通夜という場で、現実を確かめてきます。とてもそれは辛いけど。