十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

社長、ありがとう。

今から20年前、私が24歳の頃のことです。私は大阪市西区の小さなビルの小さなオフィスの扉をノックしていました。「とらばーゆ」で見つけたそれも小さな求人情報を頼りに来た採用面接。迎えてくれたのは、鼻が大きくて髪が長いちょっとへんてこりんなおじさんと、ちょっと太めで声の大きなお兄さん。社長であるこのへんてこりんなおじさんに面接され(というかほとんどこのおじさんがしゃべってた)、「あなたのような人に来てもらえれば」と言われて「へ!?」と驚く私。「また改めてご連絡しますが、おそらく来ていただくことになると思いますよ」、そう言われてオフィスを出て、浮き足立った気分で公衆電話(当時は携帯電話なんてないんだYO!)からお母さんに電話をしました。「うん、多分採用されたみたい」。ここから私のコピーライター人生がはじまったのです。













鼻が大きくて髪の長いへんてこりんなおじさんは、プランナーであるK社長。そして声の大きなお兄さんは先輩コピーライターYさん。私ともう一人の女性が採用され、4人の小さな広告企画会社での仕事です。コピーのコの字も知らない素人の私たちが最初にできることは、社長が手書きで書いた企画書の清書くらいしかありません。この手書きがかなり汚い。普通じゃ読めない。さらにワープロ(パソコンなんかじゃないんだYO!)を使ったこともないので、B4一枚の企画書を作るのに丸1日かかったことを覚えています。社長は滅多なことで怒る人ではなかったし、Y先輩もやさしく、私たち素人2人はのびのびと毎日楽しく、でも仕事は厳しく、少しずついろんなことを覚えていきました。やる気と根性しかなかったけど、楽しかった。社長をからかってゲラゲラ笑うこともよくありました。















この小さな広告企画会社はその後スタッフが増えて、デザイナーも入り、一時は10名を越えるほどにぎやかで元気な会社になりました。私はいっちょまえに関西情報誌のライターとして育ち、後輩も入って毎日忙しく過ごしました。そうして時間が経ち、私はフリーライターを意識してこの会社を退職することを決めました。たまたま時同じくしてY先輩ともう一人の先輩が独立することになったため、私はいっときのアルバイトとして先輩の会社を手伝うことに。こうしてK社長のもとから私たちは巣立っていきました。














先輩2人が立ち上げた小さな事務所は少しずつ少しずつ大きくなり、私もフリーになることを辞めてここに勤めることになりました。それが今の会社です。K社長とはその後会うことはあまりありませんでしたが、たまに道で会うと「どないしてんねん」とその低い声でフレンドリーに話しかけられ「社長、怪しいでんなあ」と笑い合うこともありました。その後社長は会社をたたみ、奥さんと2人奈良に引っ越して小さなカフェをはじめたと噂に聞きました。「社長らしいね」と話していたのですが、その後聞いた噂は「ガンでもう長くないらしい」ということでした。驚きました。














少し前、私がひとりで奈良に行ったのはK社長のお見舞いでした。すっかり痩せてもう話すこともできない社長に、私はひとりで話しかけました。今の会社のメンバーこと、Y先輩の社長ぶり、うちの犬とへんなダンナのこと、実家の家族のこと、一方的にしゃべる私に、うなずいたり首を振って社長は応えてくれました。そして「私が今、とても幸せにいられるのは、あのとき社長が私を採用してくれたおかげです。本当にありがとうございました」と頭を下げました。私はただただお礼が言いたかったのです。あのときあの扉をノックしてよかった。あの会社で育ててもらえてよかった。社長は何かを私に伝えようとしてくれましたが、私は理解することができませんでした。これが最後となりました。













昨日会社に届いた奥さんからの便りで、K社長が亡くなったと知りました。先週の木曜日のことだったそうで、葬儀にも参列できませんでした。覚悟はしていたことだったので「そうですか」というしかありませんでした。なので今日は少し振り返ってK社長のことをもう一度思い出し、焼き付けておきたいと思ってこのようなブログになりました。書きながら少しもやもやが晴れたような気がします。読んでもらってありがとう。自分のことが大好きなK社長も喜んでくれたらいいな。