十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

甥っ子姪っ子への手紙2

早いものでこの春から王子は高2、姫は中2になったんやね。進級おめでとう。楽しい時期やな。何やっててもケラケラする年頃や。いいなあ。ねーねーにもあなたたちのお母さんにもお父さんにもそんなときがあったんやで。一生の友だちに出会って、毎日泣いたり笑ったり怒ったりしてた。1日は長くても学生時代はあっという間に過ぎてしまうから、大事に毎日を過ごしてください。

 

こないだのニュースで、相撲の土俵で倒れた市長を救命処置した女性数名に対して「女人禁制の土俵から降りなさい」ってアナウンスされたのあったやん?あれあなたたちどう思った? 違和感はあった? ねーねーはまずね、ためらいなく駆け寄った女性(医療関係者なんやろね)が素晴らしいなと思ったな。かっこいいよね。ねーねーはこんな仕事なんで「どこかにコピーを書ける方はいらっしゃいませんか」と緊急事態で呼ばれることはないから仕事を人助けに活かせることはまずないやん。偉いなあ、素晴らしい仕事やなあと思った。そしてあのアナウンス。長年にわたって継承されてきた相撲のルールやから、とっさに「アカンこと」として止めたんやろな。ではなんでこのニュースがこんなにもやもやしたものになるんやろうか?

 

倒れた人を助けるという目的で土俵にためらいなく上がる人、立ち入ったらあかん所なので注意する人。これはそれぞれが自分の役割を果たしているからどちらも「悪い」わけやない。けれどこのとき何を優先すべきことなのかを考えたらもちろん「救命」や。「入ったらあかんていうてる場合か」というのが多くの声やしねーねーもそう思うけど、「女性が土俵に上がっても良いケース」を考えてなかった相撲協会が一番アウトやったんやろうと思ってる。昔は女の人の医療関係者が少なかったんかもしれん。観客もほとんどが男性やったんかもしれん。その古い時代の当たり前を見直しもせずそのまま引きずってるからこんなことになったんやろう。そして相撲協会に染み付く「決まりごとであるルールを守る」ことが一番の目的になってることが、一番の問題なんやと思う。

 

その行為がなんのためのものであるのか。仕事も勉強もクラブの練習も、それをきちんと腑に落としとかんと、やってることがいい加減になるしきっちり身につかん。さっきの「ルールを守ることが目的」になっても何にも意味ないのと同じやな。特に仕事になると、やってるうちにいろんな人が口を挟んできて振り回された結果「あれ?こんなことになる話やったっけ?」とゴールを見失うことも結構ある。目的という軸をしっかり定めたらやるべきことは具体的になるし能動的に取り組めるもの。どんなこともやらされて文句言いながらグダグタするなら、やる意味を見つけて工夫しながらやる方がおもしろくなるに決まってる。どうせやるならその方がええねん、絶対に。

 

王子、あんた去年の冬のお家の大掃除のときにえらい文句たれてたそうやな。やらんでええやんて?アホいいな。自分らが毎日暮らす大事な場所を家族全員で年にいっぺんくらいきちんと掃除するのに意味がないわけないやろう。綺麗になった窓が、床が、コンロがどれだけ気持ちいい?掃除ひとつにも頭を使って「どうしたら早く綺麗になるか」考えてやってみ。こんなこともおもしろの対象になるんやで。

 

話は戻って、あの市長さんはご無事だったそうで、救命された女性たちも報われたね。良かったね。救命処置は1分でも遅れたら命に関わるからほんともたもたしてる場合やないらしい。だからねーねーもAEDの使い方を習っておこうかと思ってるねん。なんやったら一緒に行こうよ講習会。こういうことでもできることを増やしておくことはきっと無駄にならんと思うよ。