十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

もし、来年。

糸井重里さん家のワンコのブイヨンが亡くなったことを以前ブログに書きましたが、先日新しいワンコを迎えたという投稿を拝見しました。新しいコは「ブイコ」ちゃん。ほぼ日にも書かれていましたが、相当な葛藤があっての決断だったようで、それはわたしにも容易に想像できます。前犬がいなくなった当初はまた犬を迎えるなんて、もしくは前犬を超える犬に出会うことなんて無理と思うやろうな。ウチならサイゾー以上の犬なんていないと思うやろう。ところが時間が経っていくごとにいつもの生活に戻って、犬のいない生活のなんとわびしくつまらないものよと感じていくんやろう。そして「犬を迎える」ことへの現実的な検討がはじまる。自分の年齢、仕事の状況、経済性、無理と思えば無理やし、迎えようと思えばなんとかなるこのシーソーを心の中でガタゴトさせて、最後に「迎える」方へシーソーは傾き、いつのまにかこのシーソーに新しいコがちょこんと座っている。まだワンとも言えない小さなコが。

 

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高知から帰ってからとーちゃんに聞いてみた。「もし来年、サイゾーがいなくても高知に行きたい?」と。するとしばらく考えてとーちゃんは「うん、行きたい」と言った。そうやね、私も行きたいな。サイゾーのいない高知は、犬に時間も場所もしばられることなくどこにでも行けてできなかったことができる。そんな過ごし方もアリやと思う。泊まりで温泉にも行けるやん。せやけど16年もいっしょにいた犬がいない高知は、もしくは私たちの生活はやっぱり想像しにくい。19時までにはホテルに迎えに行かないといけないこのしみついた生活リズムが自由になったとしても私たちはその状況を謳歌できるんやろうか。やっぱりどこか物足らなくてもぞもぞしてしっくりこんのやないやろうか。

 

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ここのところ毎年「来年もいっしょに来られるかな」と思い、なんとかクリアしてきています。随分耄碌してきたこのオジイワンが、この暑さに耐えられるかと不安になる。ともかくまた来年の夏もこのコといっしょにいたい。いろいろな不自由さももう当たり前。糸井さんがブイコを迎えるにあたり、「犬のいない自由さはもういらない」と言ってはったように、やっぱりうちのシーソーにはサイゾーにいつまでも乗っていてもらいたいのです。