今日はお父さんの7回忌でした。亡くなって丸6年。肺がんで入院していて、もうすぐ退院すると聞いていた矢先の出来事でした。それでも最後にお母さん手作りのカレーを食べて、がん患者によくあるやせ細ったことにもならず、おそらく本人は相当なしんどさを抱えていたでしょうがその辛さを微塵も感じさせなかった最期でした。今でこそ思いますが、理想的な死に方だったとわたし、長女は思っています。
あまり上手くもない法要のお経を聞きながら、わたしの中に今もいるお父さんを考えてみました。今、私が主に仕事でやっていること、例えば考え方、振る舞い、対人関係、価値観、などなどはこの両親や血族から受け継いだ部分がきっと大きい。私が仕事で上手くいってるのは、この人たちから学んだことが多分に影響していると私は思います。じゃあ私の中にある両親から受け継いだものは、私を通じて誰に続いていくんだろう。私たちに子どもはいません。会社の後輩たち?それもあるな。甥っ子姪っ子たち?それももちろん関わっていきたい。それ以上に何かあるんやろうか。
もし私が小説を書いたら、小説でなくても形に残るものを書き記したら、私はどこかのだれかに何かを残すことができるのかな、そんなことをぼんやりと考えながら下手くそなお経を聞いていました。私を残すなんてことそもそもがおこがましいとも思う。残す必要なんてさらさらないのもわかってる。でもこの両親から受け継いだものが、私がいなくなるときにその一部が(妹たちや甥っ子や姪っ子に受け継がれてることもたくさんあることは承知の上で)泡となって消えていくんやなあとぼんやり考えていました。このままいけば、何もわたしは残せない。残さなくてもいいのかもしれない。私というフィルターを通して、小さなかけらでも残すべきななのか、すっかりきれいに消えてしまうべきなのか、あの下手くそなお経が考えるきっかけを与えてくれました。しかし言わせてもらうけど、もうちょっとコミュ力つけてから外に出ぇや、おじゅっさん。