十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

そして、気づいたこと。

友人のA子(人生いきってなんぼ)と名古屋駅で待ち合わせ、私鉄に乗り換えて会館に着いた。20年ぶりに会うH先輩と合流し、まずはS先輩の奥さんとお母さんにご挨拶させてもらう。奥さんに会うのは彼の結婚式以来2回目。お母さんに会うのは今回が初めて。自己紹介をして「もうあの子は好き勝手なことばっかりしてねえ」と涙ぐみながら昔話。そうそう、彼は独身時代から一人旅が好きで、バイクでふらりと国内をまわったり、ベトナムやタイ、ニューヨークなどにふらっと出かけてはしばらく連絡が途絶えることがよくあった。「どうしてるねんやろ」と思っていたら突然連絡があって、「タイに行っててん」と平然と言う。会うと写真を見せてくれて一つ一つ説明をしてくれた。そういえば、タイだかどっかで現地の友だちができて「こんどそいつの結婚式に呼ばれてるねん」とうれしそうに言うてたっけ。あんた、いつも突然やったけど、死ぬまで突然かい、と亡がらを見ながら涙がこぼれる。


葬儀場には小さな音で音楽がかかっていた。「これ、オーティスレディングですか?」と奥さんに聞くと「そうです。外国の曲やったら歌詞がわからないし」と。ほんまに音楽が好きやったもんなあ。結婚してもそれは変わることがなかったんやね。「子どもができてからは、今日ライブ行ってくるわって、一人でふら〜っと行ってましたからねえ。私を置いて」って、親父になっても自分勝手なやつ。奥さんとは確か音楽の趣味も共通してたと思うので、奥さんだって行きたかったに違いないのに。


お通夜の式がはじまり、たくさんの人が参列されているのに驚いた。くずれるように泣いている人も見かけた。きっと職場の人たちなのだろう。高校のときと変わらずに、みんなに愛されてたんやねえ。きっといい上司、同僚、部下やったんやろう。私の知らないS先輩がそこにあった。私のなかのS先輩はずっと前のものしかない。思い出の距離が違う、と感じた。そんな風にくずれるように私は泣けない。だってまだわからへん。8年も会ってないのに、死んだっていわれても、白い顔をしたS先輩に直面しても、やっぱりどっかでピンときてない私がいる。


これから先、いろんな場面で「ああ、そっか、S先輩いてへんねや」と何度も思い出すように感じ、ようやく彼が亡くなったことを理解していくのだと思う。その重みや辛さや寂しさを所々で感じていくのだと思う。そういう受け止め方しかできないと思う。ただ今回、S先輩を通じて、20年ぶりに出会えた人がいて、友人たちと連絡を取り合って、疎遠になりかけた関係がもう一度しっかりとつながることができた。間違ってるかもしれんけど、S先輩に「ありがとう」と思う。そして落ち込んでいきそうな私をそばで見ながら励ましてくれるとーちゃんに「ありがとう」と思う。励ますつもりなのか、梅干しでアテを作ってくれたり、靴を磨いてくれたり、こそっとちんまく支えてくれてありがとう。「ねえちゃん、大丈夫か?」と心配してメールを届けてくれた妹たちもありがとう。「私の分も一緒に拝んできて」とどうやっていいのかわからんお願いをしてくるお母さんもありがとう。S先輩のおかげで、私は一人じゃないこと、心強い家族や仲間がいることに気づかせてもらいました。私は幸せにやってるからさ、気にもしてないかもしれんけどさ、遠くで見守っててよ。いままでありがとう、S先輩。