大阪にずっと住んできた人生なので、お笑いにはそれなりの思いがあります。幼い頃の土曜日日曜日の昼間は、どのチャンネルでも吉本や松竹のお笑い番組があって、ゲラゲラしながら育ってきました。敏江玲児を見ながら「そんなにどつかんでもええがな」と思い、いとしこいしさんには「ええ声してはんなあ」と思い、チャンバラトリオには「達者やなあ」。吉本新喜劇は京やんが出てきたら「ああもうまた面倒なことになる!」と憤慨する子どもでした。あたし真面目な山羊座さんやからね。
こういう環境で育ってお笑いが染みついてしまってるので、毎年とーちゃんと点数をつけながらじっくり見る昨夜のM-1も、いつものように私たちなりの漫才基準でもってやらしてもらいました。ネタのスピードも時間も昔テレビで見ていた漫才とはまったく違うので、比較にはならんことは承知の上で、それでも漫才にはいとこいさんのような品と知性、出来るだけマイクの前でやりとりが起こる落ち着き、2人の掛け合いのなめらかさ、オリジナリティのあるネタの展開を求めます。今の漫才って騒いでうるさいし、マイクから離れて「それはコントと違うんか?」と思うほど動くし、〇〇やってみるパターンが多い。やってみるパターンも思わぬ方向に行くとおもしろに深みが出るんやけど、だいたい想像の範囲で「もうええわ」いうて締めて「オチてへんやんけ」と嘆かわしいこと多々。昨日見ててあらためて思ったけど、どんだけネタが斬新で良くても2人の掛け合いの間合いとか呼吸とかそんな目に見えない詰めが、巧さに大きく左右してると感じた。決勝に残った3組はどのコンビもその詰めが一歩抜きん出てたように思いました。
息をつめて漫才に集中し、審査員の点数が出る前にそれぞれ点数を述べ合う我が家のシステム。1組目を80点でスタートしていきます。私よりとーちゃんの方が点数辛くて、しかもくすりとも笑わない。「漫才は笑われるんやない、笑かすんや」とことあるごとに言うくらい親父もお笑いにはうるさくて、若井はんじけんじやダブルヤングなど、10歳年上だけに私とは旬の漫才さんにズレはあるものの熱い思いは同じです。決勝3組から選んだのも、錦鯉でふたり一致。決して好みのスタイルではないけど、個人的にはツッコミのおじさんが「ああ漫才さんや」と思えるタイプで好感をもちました。親父風に言わしてもらうなら、M-1で優勝してタレント化せずに、ちゃんと板の上でいろんな客前で漫才を磨いていってほしいと思う。中川家みたいにちゃんとやり続けてほしいな。
「もううちらがやるしかないか」「ほんだら最年長記録更新や」という会話で締めくくった今年のM-1。ええとこまでいける気がするねんけどな。え?自分には甘すぎる?