十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

妹が病気になって。

「もうしゃあないやん。しゃあないと思うことに決めてん」と妹のアオコ(本名ちゃうで)が言う。ここは高知県の新庄川。今年の夏に同じ日程で高知に入り、一緒に川遊びをしていたときのこと。やっと2人になったので「で、どうなん?」と切り出した返事がこれでした。「せやな。ねーちゃんもそない思うしかないと思うわ」と言うと、「もちろん結果が出るまではものすごい不安やったよ。でもこんな結果出てしもたらもうどないしようにもないからなあ」と返す。私でさえも最初にお母さんから聞いたときは震えが止まらんかったからな。そら相当怖かったやろう。悪性腫瘍があるって診断されたら。

 


アオコが数ヶ月前に首にぷくっと腫れものがあることに気づき、病院でいろいろなところを回されて診察を受けた結果、最終的に8月アタマに診断されたのが「がん」。しかもリンパという。彼女は17年前に甲状腺のがんを経験していて、そのときにすっかり取り除いて「大丈夫」となっていたはずだった。ところがそれが再発、リンパに転移している状況という。後に主治医に聞いたところ「甲状腺のがんが17年も経って再発するなんて聞いたことがない」らしい。でも実際、そんなことが妹の身に起こってしまった。新庄川の流れを見ながら9月になったら手術をして取り除く予定であること、抗がん剤治療はやらないと聞く。少なくとも手術ができることに感謝する。この新庄川の清流に、アオコの中の悪いものがすべて流れさってしまえばいいのにと願った。

 


高知での夜、お母さんと2人きりになって自然とアオコの話題になった。子どもの頃からアトピーだったアオコに対して「可哀想や。そんな身体に産んでしまって申し訳ない」としくしく泣く母。「母親としてそう思うのは仕方ないと思うけど、親に可哀想って思われるのは辛いことやで。本人に言うもんやないで」「それにな、あの子はあの子にしかないいろんな経験があっての今があるんやで。いろいろ苦労してきた分私ら以上に、誰よりも優しい人になってると思うよ」と私。こんな言葉でお母さんを励ませてるとは思わへんけど、お父さんがおらん今、どこかで精神的な柱になりたいと思ってたと思う。結局なんにも役に立ってないし、病に対してなんにもでけへんのが現実なんやけど。

 


ほんと、何もでけへん。私がしたことといえば近所の神社で祈ったことだけ。がん患者に対する水やら水晶やらサプリやらなんちゃらの神様やらいろんな商売、いやモノがあると聞くけどそういうものは本人が望まない以上一切いらないし、そういうものから守ってやることが私たち家族にできる数少ないことやと思う。最終的には本人の治す前向きな気持ちと医者を信じる気持ちしか拠り所はない。あとは家族の結託か。

 


9月のアタマに予定通り入院、翌日手術が行われ、アオコの残っていた甲状腺とがんのあるリンパ部分はすべて切除された。入院からほぼ1週間後に退院というスピードには驚いたけど、今は声が出にくい状態で自宅療養しています。とはいえ昨日も一緒にビールイベントに行ってきたくらいでお酒も飲んでるし、元気なのでご心配なく。なにより深刻な状況ならこのブログは書いていません。元気にしている証拠だと思ってくださいね。

 


今回のことで考えたことはいろいろあります。がんという死と隣接した病に対する恐怖。大切な家族を失うかもしれない絶望。三人姉妹で50年近く生きてきて、そんな簡単に失ってたまるかという怒り。なのに何もできない無力感。自分でなんとかできることならなんだってする。できる手段があるのはまだ幸せなことというのもよくわかった。仕事のプレッシャーなんて全然平気。やれば何とかなることはたいしたことじゃない。自分ではどうにもならないことに一番のストレスと暗闇があること、それにどう向き合えばいいのかを妹のこの件で学びました。そして、当たり前の健康のありがたみの重さを改めて思い知りました。アオコ、ともかく無理せずに、これからもみんな一緒に楽しくやっていこう。

 

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