十杯機嫌 〜飲んで飲んで、たまに犬〜

酒好きふたりと酒嫌いな犬。

甥っ子姪っ子への手紙.5

ほんとはもうこのテーマでブログを書くのはやめにしようと思っていました。王子は大学生、姫は高校生でもうこういうメッセージは響かないと思うし、自分で考えて行動できる年齢やしね。一年前にコロナについて書いたことを覚えてるでしょうか。あのときはこんなに長引くなんて想像もしてなかったけど、かえって今より緊張感があった気がするな。「死と隣り合わせ」と言いながら、私たちは幸運にも1年生き延びました。たくさんの人がお亡くなりになり、たくさんの人の尽力があり、この1年が過ぎました。私たちは幸運にも1年生き延びたのです。この特殊な状況について思うことがあるので、最後に2人に伝えておこうと思います。

 

私たちの生活を変え、自由を奪い、制限ばかりを強いられることになった諸悪の根源コロナ。大学や学校に行くこと、友だちと遠慮なく笑い合うこと、カラオケも部活も何もかもしたいことが不自由になって、あなたたちには「つまらない」ことだらけだと思います。1年前のブログに「この世の中が変わる真ん中にいる当事者として何ができるか、何が必要になるのかを考えられる人になってほしい」と私は書きました。社会の仕組みがこれから大きく変わる。きっとまだまだ変わる。不満よりもこの状況を受け入れて前を向くことがとても大切だとねーねーは今も思っています。

 

そして考えてみたのです。コロナは何をしたいのだろう?と。もちろん、多くの命を奪ったことは許されるものではありません。しかしエボラなどのウイルスに比べると死に至る確率はとても低い。制限を守れば生き抜きやすいこいつは一体なにをしたいんやろうか?

 

ねーねーが思ったのは、まずコロナに家族の仲を試された。家にいる時間が増えたことで家族関係がこの状況に対する不満度を変えています。家にいて家族と過ごすのが嫌だと思うかラクだと思うかはその人の家庭環境によるものが大きいでしょう。「あんたのところの家族仲はどうだい?」とコロナがせせら笑っているような気がします。これと同じく仕事や会社の必要性もコロナが試している、と考えることができます。インバウンドに傾いて地元のお客を失った黒門市場がその一例。先日ネットニュースにも出ていましたが、ドル箱の外国人観光客向けの商売に力を入れた結果、地元のお客が離れ、そこでまさかのコロナになってしまった。一度離れたお客を取り戻すことは並大抵のことではありません。これは道頓堀もしかり。2年ほど前に道頓堀に行ったとき、あまりの変わりように愕然としたことを覚えています。誰の町なのかここは。子どもの頃におじいちゃんと歩いたミナミを返せ。私の思い出の町を返せ、と泣きそうになったことがありました。商売にとってお金儲けが一番大事なのはわかってる。でもそのやり方は選べる。目先の儲けに飛びついた黒門や道頓堀は、コロナに「そんな商売をやってていいのか?」と突きつけられたのだと感じています。これを機に地元客に愛される町を取り戻してほしいし、そうなったミナミをマスクせずに歩ける日が来ればいいなと思います。

 

人との関係の強さもコロナは試したのかとも思います。会えなくても確かな関係をこれまでに築けていれば、「離れてしまった」とは思わないし、いろんなかたちでつながっていける。逆にそこまでじゃない人とは疎遠になっていく。仕事も人間関係も「必要とされているか」をコロナが試していると仮定すれば、どんな生き方をしてきたか、が問われるのだというえげつない結論に至ります。私が一番恐ろしいと思うのはこの点なのです。あなたたちがこれからどんな風に生きていくのかわかりませんが、どんな状況になっても「変わらずにいられる」ことが大事になる。そうなるためには誠実に生きていくしかないのかなと思います。きちんと周りの人に向き合うこと。自分の仕事や役割を逃げずに全うすること。成果を出しながら自分の力を高め、誰かの役に立っていくこと。こういうことを愚直にできるか?とコロナが教えてくれたのかもしれません。

 

どうぞこれからも、健康で楽しく過ごしてください。こんな状況でもやり方さえ間違えなければ毎日を楽しむことができます。姫は大学受験、王子は就職活動がこの先待っていますが、自分の力を試すチャンスととらえて「やってきたこと」に自信がもてる過ごし方をしてください。おもしろい人生になるよう、これからも見守っていきます。